もしも人とよい関係を築きたいというのであれば、自分を好きになる努力をしましょう。
岸見 一郎 著 「困った時のアドラー心理学」 第二章 自分自身のことで困った より
アドラー心理学の本を読む機会に恵まれたので、読んでみたらこの一言にビビッときました。
一人で孤独なのは慣れているし好きだけど、”好き好んで一人で孤独”なわけではなくて、”嫌われ疎まれた結果一人で孤独”な気がしていたからです。
自分にとっての最良を自分で考えるための本
考えることを手助けしてくれる
実例が載っているので、「一問一答式の本で、自分にあった症例がなかったらそこまでの本かな?」と思っていたら、「はじめに」の部分で岸見一郎さんに釘を刺されてしまいました。
ただ、こうしなさいといわれ、そのとおりにしたら解決したとしても、なぜそうすればよかったのかを理解しなければ、別の問題が起こった時に応用が利かないことになります。数学や物理学を学ぶ時に、公式の意味を理解しないで、応用問題の答えだけを覚えても力がつかないのと同じです。
岸見 一郎 著 「困った時のアドラー心理学」 はじめにー「何とかなる」と思えるための手引きとして より
つまりこの本は、公式の意味を理解するための本です。
何か問題が起こった時に、つい答えだけ知りたくなるものですが、心理学に頼りたいときというのは「いますぐ」の答えは見つからないものですよね。なぜならば、心理学に頼りたくなるときというのは、だいたいの場合は対人関係で悩んでいるから。
対人関係はナマモノです。
生身の生きた人間が相手ですから…。
口をあんぐり開けて答えを待っている人も読んで欲しい
総務にいた頃に、手を煩わされた人間は「一問一答式の答え」を求める人でした。
彼女たちは自分で答えを求めようとしません。
ググることさえ自分でしない彼女たちは、問題が起こったことも解決しないこともすべて他人のせい。要するに自分の頭で考えることを拒絶してしまったんですね。
先ほど引用した部分で「応用問題の答えを覚えても力がつかない」とありましたが、基本問題の答えさえ解答集を盗み見するような人は、読んだとしても他責思考が増長されるだけで何の意味もなさないでしょう。
そういう自覚が少しでもある人が「自分を変えたい」と思って読むなら、読んだ方がいい本です。
”悩むこと”を”前に進まないこと”の言い訳にしていないか
総務時代に手を煩わされた40代BBA「一問一答式の答え」を求めている人に共通するのは「悩むばかりで前に進まないこと」でした。
会社に出勤してきて日がな一日何をしているのかといえば、パソコンのプレゼンソフトを開いて唸っているだけ。
一枚の画像も挿入されず、一行の文章も書かれないままに終業時刻を迎え、そのまま残業を深夜までしていく彼女たちの言い訳は
「だって悩んでいるんだもん。これでいいのかどうかって。できるだけいいものを出したいじゃない?」
でした。
そんな「一問一答式の答え」を求める人たちに読んで欲しいのはこの文章
苦しい方前に進めないのではなく、前に進まないために悩むのだ、と。前に進まないでおこうという決心が先にあって、悩むのはその決心がやむをえないと思えるためであるとアドラーは考えるのです。
岸見 一郎 著 「困った時のアドラー心理学」 第一章 アドラー心理学の基本 より
まさに彼女たちの事例だと思いました…。
この文章を読んでぜひ、自分の胸に手を当ててもらいたい。
あなたが他人に好かれない本当の理由とは
自分でさえ好きになれない人を他人が好きになるはずがない
冒頭で引用した
もしも人とよい関係を築きたいというのであれば、自分を好きになる努力をしましょう。
岸見 一郎 著 「困った時のアドラー心理学」 第二章 自分自身のことで困った より
この文章は、個人的に一番心に響きました。
私が見てきた「一問一答式の答え」を求める人たちのに共通していたこと、それは「自分に自信がない」こと。
自分に自信がないから自分の出した答えに沿って動くのが嫌なんですよね。
それなのにプライドだけは高いから、正しい答えを自分が考えたように振る舞い、影響力だけを得ようとする。
今にして思えば、あの人たちも「自分のことを好きではなかった」のかなと思います。
人とよい関係を築けたと思っても、表面的な関係だけで、本当にいい関係は築けなかった「一問一答式の答え」の彼ら。自分のことをもっと好きになれる努力をして欲しいと思います。
自分を好きになる。ただし過保護にならない程度に
私自身が自分を好きではなかったのでわかるのですが、自分を嫌いな人が自分を好きになろうとすると、自分を好きになることと自分に過保護にするのを一緒にしてしまいがちなんです。
でも、自分を好きになることと自分に過保護になることは違います。
自分に過保護になるということは、自分自身を甘やかして「忠告」や「耳に痛い話」を徹底的に無視すること。
自分に痛いものの全てを自分から排除してしまうことです。
自分を好きになるということは、自分を愛するということ。
自分を愛する誰かがしてくれたように、寛い愛で自分を包むことです。
この辺りをしっかり区別しないと結局、ただの甘ったれた大人になってしまう。
自分を愛し・尊敬できるようになるために
他人からは強制できない二つのもの「尊敬」と「愛」を自分自身に
自分自身を尊敬して愛するってなんだかとっても照れくさいけれど、自分のことをきちんと好きになれるように自分のいいところを探してあげたい。
面接のときに白々しくいうような長所じゃなくて、自分の本当にいいところを自分で見つけたいよね。
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