こんにちは。心配性の母、こじっぺです。
さっきTwitterで呟いたんだけど、
帰りが遅いなぁ
と思っていたら、靴隠しにあっていたらしい。先生と一緒になって探しに探してようやくの帰宅。
「悲しかったね」
と、ムギュッと抱きしめてやりつつ
「また嫌な思いをしたら、がまんせず言ってね」
と、目を見て伝える。嫌なことをタイムリーに伝え合える関係が大事だ。
— こじっぺ@ライター&リモート社員 (@koziseren) November 8, 2016
うちの子が靴隠しにあったようでして…。
昔、いじめられた経験のある身としては不安でしようがないんですよね。
義務教育期間にはつきものの「いじめ」。
できることなら子供には、加害者にも被害者にもなって欲しくないのです。
子供が言うには、特定の誰かがやられているというわけではないらしいんですけどね…。
で、ふっと思ったのが、子供が素直に
「今日嫌なことがあった」
と言ってくれるって、素晴らしいことなんじゃないかと思ったんですよね。
というのも、こじっぺがいじめられてた頃は、恥ずかしくて親になんか言えなかった。
いじめられてるなんて言ったら、親に殺されると思ってましたから。
家に脅迫状が届いたので、親にバレるんですが…。
親も担任も何もしてくれなかったし、言われたのは
「いじめられる奴が悪い」(担任)
「面倒を持ち込むんじゃない」(担任)
「お前みたいな根暗な奴はいじめられて当然」(親)
「これを機会に根性直せ」(親)
「死ぬのはよしてね、今まであんたにかけた金が無駄になるから」(親)
「いじめってね、いじめられる方にも問題があるの。自分がどうしてそんな目に合わなきゃいけないか、よく考えてごらん」(当時出来立てのいじめ相談ダイヤル)
だったんですよね。
いじめられてた時にさえ、こういう態度だった親・担任が、普段どんな態度だったかは想像にお任せしますが、こじっぺの中で一番信用ならない大人達が、親と先生だったんです。
いいことも、悪いことも言わない。
聞かれたことにしか答えない。
言ったところで、傷つくのは自分だから。
でも、当時の大人達にしてみれば「いいことをしてやってる」つもりだったんですよね。
なぜならば、自分たちが子供の頃に取られた対処に比べたらとてつもなく良心的でマシな対応だから。
子供にしてみれば、大人が子供の頃のことなんて知ったことじゃないので、全然マシな対応じゃないんですが(笑)
何と比べるか、というところで比べるものを間違ってしまうと、こういう独りよがりな「俺様っていいやつ」になってしまう。
それを押し付けられた方からの信頼は失っているのにね。本人達は気づかない。
こじっぺは、そういう親になるのが嫌だったんです。
なので、子供への対応は自分の親と自分を比較しないようにしています。
・子供は何を求めているのか
・自分が子供だったら、どうして欲しいのか
子供のことを考えるんです。
いいことも、嫌なことも、「お母さんに伝えたい」と思ってもらえる親でありたかったから。
「こんなに些細なことだけど、あなたに伝えたい」
そう思われる人になるためには、信頼関係が大事だと考えてるんですよね。
子供との信頼関係を築くには、子供に
「あなたのことを、あなたの身になって考えていますよ。」
「楽しい時も辛い時も、あなたのそばに私はいますよ。」
ということを、日頃からわかってもらう必要があります。(よね?)
今回、「靴を隠されたんだ」ということを、帰宅してすぐに親である私に言ってもらえたということは、「そういう信頼関係が築けていた。」ということ。
靴を隠されてしまった。という事実は、親としてもとても悲しいことだったし、憂慮すべき事態だけれども、この「嫌なことがあった時にすぐに言ってもらえた」ということは、とっても嬉しかったし、素晴らしいことだなと感じたのでした。
ピンチの時ほど、日頃の行いが試されるといいますが、日頃の行いを改めて思い直す出来事でした。
明日は、靴隠しに合わないで帰ってきてくれるといいなぁ。
こじっぺ | |
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職業:元シンママ・小学生の母・ライター 趣味:編み物・ブログ・読書・お絵かき 夢:毎年一回、ディズニーランド内のホテルに家族で泊まれるようになることTwitter:@koziseren |